昨日思ったこと、着付けとお習字とヨガ→来年の方針
今年の1月「着物のこの感覚的に良い!ということを、もっと理論的に伝えたい」と思っていました。
感覚的にいい。ってことが
すごいことでいいんだけど
それだけだと限られた人にしか届かない。
もう少し何がポイントとか分かりやすいように
具体的に理論的に話せたらいいのに。
と思っていました。
そんなことをある人と話していたら
そしたら「宗教と科学僕はどっちも愛してる」とお話ししてくれる人がいて
「なるほどー!」と思いました。
私の中でどちらかが良い。でなければ
いけないと思ってたけど
「両方同じところから来てて同じこと言ってるんだな」と分かったから。
それでそんなことをそれからずっと
一つ感じることがあれば、理論的に話すとどうなるんだろ?とか
論理的な話を聞いた時は、着物のどこの良い部分に当たるんだろ?
といつもいつも考えてました。
それで今日は来年の方針が
「これがいいかなぁ」と少し思うことが
できました!
それは「俯瞰(気付く)+試行錯誤(コントロール)=生長」です✨
長いからどうしようかなって考え中だけど
どれも外せないから書こうかな笑
洋服は形がもうあるから
着だとして失敗、上手く着れなかった。
ということはそんなない。
けど着物の場合は
まとって自分でその時の形を作ってくから
その時の体調や気分で
腰紐の締め心地の感じ方も違えば
締めるチカラも変わってくる。
その時その時で身体への感じ方も違えば
今日はここは上手く着れた上手く着れなかったとかもある。
けど「出来る」ということが
一番追い求めていくわけではなくて
「今日はどうだったか」と
気が付けることが一番いいと思ってます。
今日上手くいかなくても
気が付けたらあとは自分で
試行錯誤していくから。
気が付かなかったらそのままだから。
それが「気づいて(俯瞰)、コントロール(試行錯誤)」と思ってます。
皆さん「上手くできなかった」
「もっとこうしたいのに」と
言われる。
けど「もうそれでいいんです!」みたいな。
だって「こうしたい」とあったら
後は私がポイントお伝えしたら
後は皆さんご自身で近づけよう!って
自然にやられるから。
「できないできないできない」と
なってると苦しくなる。
それでできなかった自分を責めちゃう😭
だから一歩引いて俯瞰が必要だなって。
書やヨガやってたら着物と通ずるところあって。
「こうでなければならない」
「綺麗に着ないといけない」(着物)
「綺麗に書かなければならない」(書)
「呼吸のベストタイムを更新をしなければならない」(ヨガ)
もちろんそうかもしれないけど
その前に、それだけを求めてくんじゃなくて
「自分はどうだったかな?」と
『気が付く癖を与えてくれてるものなんだな』と。
形があって無さそうなもののよさ◎
形があると、「こうでなければならない」というか無意識半強制されてること多い。
だからそういうものの考えを
教えてくれるものなのかなって。
それが着付けや書やヨガから離れたときも
日常生活そんな風に考えられたら
楽になるんだろうなと。
(私でいうなら目標という数字とか。どうだったかな?こうだった!と見ればいいんだと。だから上手くいかなかったら行動変えるに繋がるんだ!と。←教えていただいたこと。その俯瞰して見るための数字なんだなと)
そして自分のことも誰かのことも俯瞰してみれたらなんか良さそう←まだうまく言えないけど、「え?」と思う人がいても攻めることとか少なくなりそう←なくなりそうとはまだ言えない😅
だから来年はそんな風なことを
書初めに書いて
そんなことを自分にもご案内にも
たくさん込められちゃう
一年にしようかと。
そんな風に思った一日でした😊